東京オリンピック(五輪)が8日、幕を閉じた。多くのドラマで見るものを魅了した競技場の中。不要不急の外出自粛を求められたバブルの外。見るもの、参加するものの立場に応じて、異なる記憶を刻んだ。選手やその家族、ボランティア、五輪を初めてみた小学生たちは何を感じたのか。声を聞いた。
「選手の勇気が、コロナ禍を生きる希望になって」
国立競技場で案内係のボランティアをした藤本華奈さん(25) 選手の悲喜こもごもを目の当たりにしました。コロナ対策で話しかけられず「Great Race」と掲げた。ボランティアも五輪を作っていく存在だと感じました。都内で研修医をしていて、8日は朝8時半まで夜勤でした。感染拡大は肌身でわかります。選手の勇気が、今後も続くコロナ禍を生きる希望になってほしい。
100人の朝食用意し、宿泊は5人「振り回された」
東京・日本橋の「住庄(すみしょう)ほてる」社長の角田隆さん(53) 閉会式の放送をむなしい思いで見ました。大会組織委との契約で、当初は海外メディアを泊める予定でしたが、直前には誰が何泊するのか分からなくなってしまった。約100人分の部屋や朝食を用意して、結局、宿泊したのはのべ5人だけ。大会に関われて誇らしかったのに、今は振り回されたという思いばかりです。
スーダン選手「前橋の人たちは第二の家族」
前橋市での長期合宿を経た陸上南スーダン代表のアブラハム選手(22) 開閉会式で母国の国旗が掲げられているのを見られて、大きな喜びを感じている。3日の1500メートル走では、前橋の人にとても勇気づけられ、自己ベストを更新できた。彼らは私にとって第二の家族だ。これからも交流を続けたい。もしも南スーダンに来てくれたら、私ができる最高のおもてなしをしたい。
コロナ陽性で棄権した選手「五輪は私の夢だったから…」
新型コロナ陽性となり棄権したテコンドー女子チリ代表のフェルナンダ・アギーレ選手(24) 五輪は私の夢だったから、隔離中のホテルで「全てがうそであって」と涙が止まらなかった。隔離後、1日だけ選手村の美容室に行けたのが五輪の思い出です。7月末に帰国し、家族や友人と過ごすうち、もう一度競技に向き合う気持ちがわいてきた。支えてくれた人たちのためにも努力を続けたい。
小学3年生「自分もダンスを頑張ろうと思った」
最終日の聖火を見に来た千葉県市川市の小学3年生、安江莉花(りんか)さん(9) 五輪を見たのは今回が初めてで、とても楽しかったです。バスケットボールをよく見ました。女子日本代表の町田瑠唯選手がうまかった。5歳のころからチアリーディングをしていて、今日も練習しました。五輪で選手が活躍しているのを見て、自分も笑顔でかっこ良いダンスができるよう頑張ろうと思いました。
最年長のマラソン選手「五輪は人生のすべて。また走る」
最年長で男子マラソンを走った米国のアブディ・アブディラマン選手(44) 途中で腹がけいれんして厳しいレースだった。でも41位で走り終えて幸せ。私もあなたもいずれ、歴史に刻まれた「コロナ禍の五輪」を思い出すだろう。開催してくれたこと、札幌で歓迎してくれた皆さんに心から感謝したい。五輪は私の人生のすべてであり、私は今も走ることが好き。少し休んだら、また走るよ。
ブルガリア選手たちは「孫」 コロナ後、会いに行く
ホストタウンとしてブルガリア新体操チームを支えた山形県村山市の小室けい子さん(71) 東京への応援ツアーがなくなり、20万円台の4Kテレビを買って応援しました。良い演技を見て涙、チームが金メダルになって涙。4年前の合宿中から、選手がトイレで泣き、大人になっていくのを見てきた。私の「孫」です。勇気と元気をいっぱいもらった。コロナ後、会いに行くのが次の目標です。
海外記者「選手のありのままの姿伝えられた」
ワシントン・ポスト記者のレス・カーペンターさん(53) 五輪取材はこれで5回目。「コロナ五輪」には、延期や感染拡大で苦労した選手たちの物語が詰まっていました。いつものきらびやかな五輪と違い、選手のありのままの姿を伝えられたと思います。ただ、暑さと湿気は最悪でした。自転車BMXの競技会場は、日よけがなくてきつかった。もし観客がいたらと考えると、ぞっとします。
銀メダリストの母「よく頑張った。おうどん食べさせてあげたい」
自転車トラック女子オムニアムで銀メダルを獲得した梶原悠未選手の母、有里さん(49) 「銀メダルで、金を取れなくてごめんね」って、涙を浮かべて娘に言われました。本当に悔しそうだった。でも落車してもまた自転車にまたがる姿、かっこよかった。苦しい練習に耐えてきたのを横でずっと見てきて、よく頑張ったと思います。おうどんを食べさせて、ゆっくり休ませてあげたい。
バスケ女子の主将「大会がなければ、この結果はなかった」
バスケットボール女子で初の銀メダルを獲得した高田真希主将(31) 金メダルを目標にしていたので少し悔しいけれど、誇らしいです。点差が離れても自分たちのバスケットは徹底できた。体が小さくても、海外の選手に勝てるんだと証明できたことはうれしいです。大会が開かれなければ、この結果もなかった。たくさんの方々の協力で開催されたことに感謝しています。
パリ組織委CEO「東京は世界の『首都』になった」
2024年に開かれるパリ五輪組織委員会のエチエンヌ・トボワ最高経営責任者(CEO) 厳しい状況で五輪を実現させ、日本の能力を示した。この2週間ほどで、東京は世界の「首都」になった。選手村で見た、世界の選手たちの幸せな表情が忘れられない。省庁など複数の組織が統合して輸送や警備に取り組む姿や、馬を休ませる空調がきいた部屋など、暑さ対策も参考になった。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル